メディアイズム
うちの夫は、三度の飯と同じくらいお笑いが大好きなテレビっ子だ。
その夫が、2018年3月10日放送のIPPONグランプリを観ていなかったので、驚いて理由を聞いてみた。
曰く、「バカリズムが圧勝なのはわかっていて、対バカリズムみたいな形式が形成されてしまっているからなぁ〜」とのこと。
バカリズムが恐ろしく大喜利・フリップに強いのは、普通程度のお笑い好きの私にも何となくわかる。
そして、結果から言うと、結局のところ決勝戦でバカリズムが千鳥大悟に圧勝して優勝したわけなのだが、優勝回数で言えば全19回中たったの4回、前回から6年ぶりなのだそう。
バカリズムが史上最多4回目の優勝の「IPPONグランプリ」視聴率は10・6% : スポーツ報知
ここ10回中8回サドンデスで負けているというところからも、会場全体に満ちているバカリズムに対する敵愾心を感じ取ることができるわけだが、それが視聴者にまで蔓延しているかと言うと、それは別なわけで。
さて、近年テレビ業界が直面している“視聴者のテレビ離れ”。
なんとなく、もう長いこと苦戦しているイメージがあったのだが、
意外なことに、テレビの視聴時間が減ったのはここ数年のことらしい。
https://www.nhk.or.jp/bunken/research/yoron/pdf/20150707_1.pdf
「日本人とテレビ・2015」調査結果の概要について/NHK放送文化研究所
ちょうど夫とお付き合いを始めた時期なので、個人的には飛躍的にテレビ視聴が伸びた時期なのだが、世論は逆のようで。
これは長時間労働や共働き世帯の増加と明らかに相関があるのではないか。
仕事柄、私は出版物の売上げに興味がある。
テレビ業界より早くから出版業界は不況に苦しんできたわけだが、その理由として真っ先に挙げられるのが、「インターネットの普及」である。
出版物とは、インターネットのなかった時代には「情報の伝達」を担ってきた部分が大きいわけで、紙に印刷して運搬するという作業を省けるようになった今、インターネットが遥かに優位であることは容易に理解できる。
ただ、これは本来的には「新聞」に対する影響であって、情報をただ配信するだけではなく、企画段階から何人もの人の目で「編集」し、確認し、面白みを加える出版物、つまりエンターテインメントについては当てはまらないと思っている。
出版業界でも、真っ先に売上げが落ちたのは情報伝達の“雑誌”であり、漫画の売上げはむしろ伸びていたのだ。
もちろん、コンテンツの違法公開サイト等は問題外だ。
好きな物には金を払わないと、それは成り立っていかない。
金を落とさなければ、編集者どころか、著者自身が生活していけない。
先ほど「本とは違う」と切り捨てた新聞についても、情報を取ってくる記者がいなければ、インターネットにも配信できない。
そんな当たり前のことを壊してしまったのがインターネットの大きな罪の側面だとは思う一方、「漫画好き」を公言しながら違法サイトを覗く者、ブックオフで買う者のリテラシーの低さにはもはや恐ろしさすら感じるわけだが。
人間の適応力を優に超えたスピードで情報の網は広がってしまったわけだ。
話がすぐ横道に逸れるが、要するに、“出版不況”の根本的な原因はインターネットの普及ではない。
ではそれは何かというと、「生活に対する疲れ」なのである。
元のデータを見たのはもう数年前なので、別のもので代用するが、趣味に使う時間よりも、睡眠に充てる時間を増やしたいという人が増えてきている。
四半世紀にわたり生活者の意識・価値観を定点観測してきた「生活定点」調査 2016年結果発表 | ニュースリリース | NEWS | 博報堂 HAKUHODO Inc.
バブルの頃までは、夫ひとりが外で働き稼げていた金額が、いまは夫婦ふたりで働いても稼げないという家庭が多い。
私には子どもはいないが、保育園にかかる費用が幼稚園より遥かに高いことぐらいは知っている。
友人の話を聴いていると、時短勤務で稼いだ金は全て保育園に消えるので、何のために働いているのかわからなくなる、仕事を辞めてしまう人が多いのもよくわかる、とのこと。
6時に起床し、子どもに朝ご飯を食べさせ7時に家を出る。
9時から仕事を始め、17時に仕事が終わると子どもを保育園に迎えに行く。
19時に夕食を食べ、子どもを風呂に入れて寝かしつけると21時。
その後、洗濯、洗い物、自分の風呂など家事をこなすと、自分の時間はとれて1時間。順調にいってこのスケジュールなのだから、書いているだけで目眩がしてくる。
これが少なくとも6〜7年続くのだ。
家庭によって多少の誤差はあるだろうが、もし夫が家事ができないタイプであった場合、妻側のスケジュールはこれよりももっとハードになるし、夫側としても子育てに参加しているつもりなので、自分の時間などはとれないだろう。
昨年、最後の子どもを大学に入れたという50代半ばの男性上司は、これでようやくテレビゲームができるよ、と言っていた。
では、独身者はどうなのだろうか。
これについては、もはやデータを提示する気すら起きないのだが、いわゆるワーキングプアの増加により、非生活必需品に対して支出する金の余裕がない若者が増えているのは言うまでもないことだろう。
大手広告代理店に勤める友人は、「若者のガム離れが進んでいる」と教えてくれた。
生活必需品ではないガムは、もはや若者にとって“贅沢品”なのだ。
もし忙しい生活のなかで時間がとれたとしても、若者はエンターテインメントを求めない。そういう世界になってしまったのだ。
中高年はどうか。
先ほどの友人によると、中高年は多少余裕があり、むしろアイスクリーム等への支出は増えているとのことだが、中高年とて子どもがいれば支援が必要だろうし、現在中高年であるのであれば、やはり己の老後のことを考えると大幅な余裕はないというのが現実だろう。
また、特に本に関して言えば、視力の低下とともに人は文字への興味を失うという大きすぎる泣き所がある。
では、どうしていけばいいのか。
業界の中にいると、恐ろしいほどに出版人の危機感の無さ、というより何もできないという諦めを感じる。
それはそうだろう。
観たり読んだりはしてはいないが、近年で言えば『半沢直樹』に代表されるように、組織の中での個人の葛藤というのは人生の代表的なテーマのひとつだ。
ただ、ある程度少ないステップで、組織の力を超えたムーブメントを起こすことができるのが、メディアなのだ。
それがテレビ等のマスメディアであろうと、本等の小さなメディアであろうとも。
これも夫から聴いた話だが、TBS「水曜日のダウンタウン」が始まる前に、「その道のプロがある“説”を持ってきて、ゲストがそれを検証する」というお試し番組が放送されたそうだ。
バラエティ番組において、新番組の企画段階においてよく取られる手法であるが、お試し番組では大学教授が専門分野についての説を持ってきたりして、本当につまらなくて唖然としたが、直後に「水ダウ」が始まったため、「あ、これで企画書を通して上層部の裏をかいたんだな!」とピンときたそう。
この「水曜日」の話は極端であるものの、ある程度の壁を超えれば、個人の力では成し得ないような影響力を作り出すことができるのが、メディアの仕事の醍醐味だ。
どんなに規模が縮小しようとも、この地上からメディアが無くなることはない。
これは業界内外を問わず、異論が無いところだろう。
ただ、メディアを愛する者のひとりとして、このままメディアが力を失っていくことには、淋しさとともに危機感を覚えている。
出版業界は、もっと電子書籍に力を入れるべきだ。
更には、「本」という形にこだわるのを辞めるべきだ。
でも私は紙の本が一番好きだ。
結局は、ターゲットに合わせて媒体を選択するしかないのかな。
例えばガチの話をすると、高齢者に向けては“大活字本”をもっと作っていけばいいのではないかと思ったりもするが、そこに力を入れている出版社はまだない。
矛盾を孕むものの、テレビはある意味“マス”を捨てるしかないのだと思う。
それが例えばAbemaTVなのだろうが。
そうして“テレビ好き”のために先鋭化したのが、例えば「水曜日のダウンタウン」なのだろう。
そして、IPPONグランプリのような“マス”の番組は、番組内での内輪の雰囲気を捨てなければいけない。
今回のバカリズムの優勝は、そういった世論を反映した結果なのかもしれない。
まあ、ちなみに私は麒麟川島の笑いの方がわかりやすくて好きなんですがね。
というオチ。
(半年前に書いた記事です)